人間はいい側の人でいたい動物である
人が困っていたり、悩み事があると、知り合いに相談したり、話を聞いてもらったりします。特に解決してもらおうとか、助けてもらおうとか思っていなくても、話を聞いてもらうだけで自分の頭の中が整理できてすっきりするものです。
言葉を扱える人間ならではの特権です。困っている場面で吐き出す相手が存在するというのは非常に有り難い事ですが、こういうときに必ずいる「何か私に出来ることがあったら言ってね!」という言葉で締めくくる人。
皆さんはどうお感じになられておりますか?
僕の性根がひねくれているだけなのですが、この言葉を必ず浴びせてくる人は用心しないと駄目だと思っています。
僕の経験ですが「何か私にできることがあったら言ってね」っていう人にいざ頼み事をしたとしても、あれやこれや回りくどい言い訳をし、自分の体裁を整えた上で高確率で断られます(笑)。僕が分析するに、「何か私にできることがあったら言ってね(何もしてあげれないけど・・・)」という意味だと解釈しております。この言葉を会話の締めに使うことによって、自分はこの人の話を親身に聞いているいい人ですよのアピールをしたいだけなのでしょう。
もし、本気で思っているのであれば、相談そのものの内容をすべて咀嚼し、具体的に「私、あなたの困っていることで●●ならお手伝いできるけどやろうか?」と言ってくれますし、これを言える人はむやみやたらと無責任な言葉は発しません。
「何か私にできることがあったら言ってね」という人は自分がいい人側の人間で居たいという欲求を満たすために困っている人を壁当てに使っているにすぎないのでしょう。たまにいる、他人の仔犬や赤ちゃんを「きゃーー♥かわいーーー♥」とオーバーリアクションを取る女性と同じです。「子犬や赤ちゃんを可愛いと思っている感性の私。素敵でしょ?」という意味合いですね(笑)
上記の二つは両方全く同じです。
共通するのは、すべて自分にベクトルが向いているという事です。自分が可愛い人間にどんな頼みごとをしても聞いてくれないですよ。そんな人の言葉を鵜呑みにして、断られ肩を落とすのは無駄な時間です。今でもこの言葉には敏感で「私にできることあったら言ってね」=「無責任な奴」と解釈しています(笑)
芸能人のボランティアについても同じ感情を憶えますね。。。
「お忍びで・・・」とかで被災地で炊き出しを行っている芸能人に、心打たれるほど頭の中単純構造ではございません。テレビを見て、「タレントの●●さん、お忍びで被災地に行って偉いなー」と思われる方もいるかもしれません。まあ、私のように何もしないボンクラよりはだいぶ偉いとは思いますが。。。でも、なぜお忍びで行っているのに必ずカメラに抜かれるのでしょうか?
そもそもボランティアで「炊き出し」という地位は最上位に位置します。
僕らが被災地でボランティア活動をしたいと希望しても、「炊き出し」は絶対にさせてもらえません。ゴミ回収やら仕分け作業やら、清掃業務やら、ボランティア活動は地味で大変な作業がたくさんあります。目の前の人に有り難がってもらえる「炊き出し」を行え、しかも手渡しで渡せるボランティア員ってごくごく一部なのです。では、なぜそういう役割に芸能人がなれるんでしょうね?
僕はボランティアの中でも「その地位を斡旋する」エージェントがいると思っています。
そのエージェントはボランティアではないので所属事務所は報酬を払って、その地位を確保してくる。。。そこに、芸能人は「お忍び」という広告宣伝費の払われたボランティアを行う。
まあ、すべて僕の妄想ですけどね(笑)。
たまたーーま、芸能人がことごとく炊き出し作業が出来たのだと信じましょう(笑)。ボランティアでどぶ掃除をや仮設トイレのバキュームをやっている芸能人は見たことも聞いたこともございません。まあ、僕の知らないだけかも知れませんけどね。
いずれにせよ人のために何かをするという事は自分に矢印を向けながらは無理だという事です。
私は日々、皆様のお役に立てるよう日々、重要事項説明書作成サポート・契約書作成サポートを行っております。
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今後も「何か私に出来ることがあれば言ってください」(笑)
ベクトルはあっちゃこっちゃ向いておりますが仕事は責任をもって、きっちり正確にやらせて頂きますので(笑)