中途半端な天然素材主義
何年前からでしょうか?これまでの「使い捨ての時代」から、資源を大切にしようという動きが高まり、「エコの時代」に突入しました。
モノを大切にするのは結構なんですが「エコ」という言葉が一人歩きをし、ファッション感覚でエコという言葉が蔓延しているように思えます。
「今年はこんなデザインのエコバッグが流行っております。」と結構なお値段がするエコバッグを売っているのを見かけますが、元来、無地で質素でなければ本当のエコではないと思うんですけどね。。。また、田舎暮らしで自然の中で無農薬野菜を作り、自給自足で生活すると言っても、水道水は出るし、電気は使う。子供が生まれるとなれば産婦人科にもお世話になるだろうし、風邪を引けば抗生物質も飲む。
便利すぎて無理なんです。この贅沢な文化が骨身にしみすぎて当たり前のようになっている現代で、加工品や現代文化を真正面から否定するのは。否定している人たちも、少なからず無意識の内に恩恵を受けているのですから。
希に天然素材を使った家を建てたいとおっしゃるお客様がいます。
フローリングは無垢の物を使い、アプローチや玄関、屋根まで天然石、建具は勿論、合板では無く一枚板、壁は大理石を砕いたものと土を混ぜた物を塗るという念の入れようです。
当然、柱や躯体自体も合成材は使いません。
確かに出来上がると格好良いです。天然素材さながらの独特な雰囲気で、家の中も何とも言えない落ち着いた香り、健康面でも余計な化学物質のハウスダストなど無く、本当に気持ちの良いものです。
しかし、天然素材の家を建てるという事は、覚悟がないと大変な目に合いますよ。
人間、原点回帰するということは、不便さも常に付きまとうということを理解していないお客様が多いです。
まず、天然素材というのは生きているので、常に動きます。
柱の一本木は、南側に年輪の間隔が広い方を向けて施工しないとねじれます。元来、年輪が広いという事は、そちらの成長が早いということ。自生している時に南を向いていたと言うことです。それを知らない大工さんが年輪の広い方を北に向けて立てると、南を向こうとするので柱がねじれるのです。まあ、真逆に向ける大工さんはいないと思うのですが、それでも住んでいる内に多少は水分が飛んだり、動いたりはします。
柱が動くということは、人間で言う背骨が曲がるのと同じなので、他の箇所も併発して不具合が生じます。
すきま風が発生したり軋んだりするのは当然です。他にも、フローリングは節が取れたり、反って板同士がぶつかり合って隆起したりします。石は割れますし、大理石の粉の壁は汚れると非常に洗浄が難しいです。建具も反り、やがて噛み合わなくなることも少なくありません。
でもね。これは「天然素材の住宅の味」なんです。
これを毎日、こまめにメンテナンスしながらそれを楽しむものなんです。
この「味」を不味い!と感じる人は、既製品の機能性を重視した住宅を建てることを強くおすすめします。これは良い悪いではなく、趣味趣向の話ですね。僕は個人的に天然素材を使った住宅は大好きなのですが、マメでは無いので到底、維持するのは無理です(笑)
10年程前、フローリングを無垢の物にしたいというオーダーを受けまして、住宅を建築したことがあります。
完成時に、施主の奥様が内覧の際、カバンから名刺をおもむろに取り出され、上がり框とフローリングの取り合いの所を滑らすように動かしたのです。名刺はその取り合いの所で引っかかりました。「どうなっているんですか!!??この家は!!!欠陥住宅じゃないですか!!」と烈火のごとく怒鳴られました。。。
勘弁してくださいよ・・・
理想はいいのですが、理想と現実のギャップに耐えれずにクレーム入れてくるのはやめて欲しいものです。
言っておきます。良いとこどりは無理です。機能を重視するかエコを重視するか。
機能を重視した最先端に現代の技術が成り立っている。それはエコと真逆の方向を向いているという事を本当の意味で咀嚼し理解して欲しいです。その上で、突き進むと言うなら、僕は全力で応援したいと思う今日この頃です。